14 March, 2010

「凡人でも、マッチョじゃなくても起業できる国にする」ために必要なこと。



Willyさんの「起業したい若者に対する大人の本音」、Lilacさんの「どんだけマッチョじゃないと起業できないんだ、日本は。」を読んでのエントリー。





簡単にまとめると、willyさんは起業が増えないのは、”起業をする人に対する世間の目が冷たいことも一つの障害”という仮説を検証するべく、発言小町に「大学3年生ですが、就職活動を辞めようと思います。」という投稿をされ、そのコメントからいかに世間が冷たいかを検証されており、他方、Lilacさんはそのコメントに対し、起業はそんなに難しいことではない、と述べていらっしゃいます。





その中でLilacさんのおっしゃる「凡人でも、マッチョじゃなくても起業できる国にする」にするために必要なんじゃないかな、と思うことがあったのでそれについて書いてみたいと思います。





僕が感じたのは、「起業という選択肢を前提としない教育制度をまず、変えるべきなんではないか」ということです。





僕が所属しているのは、起業を志している学生が最も多そうな商学部ですが、残念ながら履修案内に起業というキーワードを含んでいる授業は一つもありません。(商学部外の機関による授業には1つありました。)


【参考URL】:http://www.gakuji.keio.ac.jp/academic/rishu/index.html


一橋大学商学部のシラバスでひっかかったのは「企業家と社会」という【渋沢栄一記念財団寄附講義】のみ、早稲田大学商学部では科目一覧に「起業」というタイトルのある授業はありませんでした。





一方、今僕が留学しているSingapore Management Universityには設立構想初期にシンガポール人起業家が関わっていたということもあり、"Entrepreneurial Management"というクラスがあります。





僕自身はとっていないのですが、とっている友人に聞くと、クラスの全員が数年以内での起業を目指していて、ネットワーキングなども積極的に行っているとか。また、学校自体もネットワーキング的なイベントの告知をよくやっています。





こういった大学教育の違いを表すかのように、日本にいたときに、僕が起業を目指しているような学生に出会うのは、ビジネスコンテストやインターンのような学外の場合がほとんどでした。





日本とアメリカの大学の経営に対する態度、捉え方の違いというのも影響しているのだと思いますが(【参考】cottonさんの「ヨーロッパとアメリカと日本における経営学の特徴、違いに関する考察 - 日本的経営学、MBA的経営学、そして経済学的経営学」)、大学がもっと学生に起業に興味を持たせるような教育制度を整えて行かないと、起業という選択肢に理解のある社会の雰囲気をつくっていくのは難しいのではないかなー、と感じています。





その点、そういうのができている思う一例が慶応のSFC。


SFCの履修案内で「起業」で検索すると、8科目がヒットし(http://vu8.sfc.keio.ac.jp/course2007/summary//class_list.cgi#list_start)、実際にNPOフローレンスの 駒崎さんやマザーハウスの山口さんのような社会起業家と呼ばれる方々やアメリカのiPhoneアプリで1位をとったパンカクの柳澤さんなどを多くの起業家を輩出されています。





結局、古い大学に入るよりも、新しい大学に入った方がその時代にあった勉強ができるのかもしれませんねー。





ちなみに、HBSに留学されているglobetrotterさんの最新エントリー「アントレ修羅場道」で”The Entrepreneurial Manager”という授業について書かれています。


やっぱり、こういうのがあった方が起業っていう選択肢がリアルに感じられるよなー、とさらに思った次第。(商学部に入ったものの起業など考えたこともなかった自分。。)





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